左車神社 さぐるまじんじゃ
周辺を左車町と呼びました。鎌倉時代のこと、宗尊親皇が将軍として鎌倉へ向かう途中、この辺りで車の左の車輪がこわれてしまいました。村人はその車輪を埋めて左車神社としてまつりました。左車という町名はそこからつきました。 そのとき親皇が休んだ所が、のちに休息寺という寺になりましたが、今はありません。それが現在の成田山新護寺のある場所といわれます。