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沼津城・三枚橋城
ぬまづじょう・さんまいばしじょう

沼津には、江戸時代初期に三枚橋城が、そして後期には沼津城(水野家五万石)の立派な城郭がありました。しかし、現在はわずかな石垣・井戸跡などが確認されるだけで、ほとんどその遺構をとどめない幻の城となっています。

沼津市中央公園内にある沼津城本丸跡の碑

上土通りに復元されている三枚橋城外堀の石垣

資 料

 天正五年(1577)武田勝頼によって三枚橋城が造られて東方の北条氏に対する防備とされていた。

 慶長六年(1601)徳川家康の家臣大久保忠佐が城主となったが、忠佐の死後世継ぎが無く廃城となる。

 その後160年後安永六年(1777)将軍家治の命を受けた水野忠友が沼津藩主となり、三枚橋城の規模を小さくして新しく沼津城を構築した。その後幕末まで藩主は三代続いた。

 明治維新により、徳川家達が駿河七〇万石を領するにあたり、沼津藩五万石は消滅する。旧二の丸御殿内には水野藩の殿舎を利用して、新たに沼津兵学校が設立される。城の建物は廃城後、明治五年県により競売に付され、東海道線の開通に伴って堀は埋められてしまった。

 現在川廓町の北、中央公園の一角に「沼津城本丸址」の石碑が建てられており、大手町の城内神社境内には「沼津兵学校記念碑」が残っている。川廓町の東の志多町には城の石垣が一部残っている。

 沼津兵学校は将軍家から七〇万石の一大名となった徳川家再興のため、近代的なフランス軍制による陸軍将校の育成を図って明治元年、付属小学校とともに設けられた学校で、わが国近代教育の第一歩を記すものといえる。当時の教科書が沼津市歴史民俗資料館に所蔵されている。