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新聞もテレビもない時代、暦は季節の移り変わりを知り、農作業や日々の暮らしの指針を得る重要な情報源でした。特に暦が暮らしに根付いた江戸時代から、旧暦が廃止される明治の始めまでは、暦に書かれている内容が、武士から農民まですべての人々の生活に大きな影響を与えてきました。 三島暦は三島大社の社家であった河合家が版行していた暦で、起源は奈良時代とも鎌倉時代ともいわれ定かではありませんが、暦が全国統一される江戸時代以前から、暦師の河合家で独自に暦算・編集・版行されていました。「三島暦」の名は広く知られ、京都では「三島」が刷り暦の代名詞になっていました。 江戸時代前期までは各地で多様な暦が作られていました。しかし、貞享元年(1684)、幕府は全国の暦の内容を統一し、それ以降はオリジナルの暦の版行は禁止され、幕府公認の者にしか弘暦(暦の販売)は許されなくなりました。河合家には伊豆一国と江戸での弘暦が許されていました(後に相模国が加わる)。 三島暦の木版刷りは文字が細かく美しいことで知られていました。三島に立ちよる旅人に人気の「三島名物」であったようです。 河合家は今も三島大社の東北部に位置し、幕末に箱根の十里木にあった関所を移築した威厳のある佇まいをみせています。河合家がこの家屋を三島市に寄贈し、3〜4年後に記念館として一般公開されることになっています。 。 |