わらじ

東海道HOME

 何かテーマが見つかると
 楽しみが増す
 東海道のウォーキング
  こんなテーマで
  歩くのもいいですよ
  

静岡県内の
一里塚

現 存


錦田一里塚
伏見一里塚
北 側
岩淵一里塚
愛宕山一里塚
破損

復 元

伏見一里塚
南 側
久津部一里塚
木原一里塚

このほか
一里塚碑は
多数

 

一里塚を歩く

  
 東海道の整備が始まったのはちょうど400年前のことです。
 もともとはお役人の旅の便を図るために整備されたといわれる街道も、やがて庶民の旅行者で賑わうようになりました。旅は庶民のあこがれでもあったようです。

 でも、自動車も電車もなく、馬とカゴもゼイタクの部類に入る時代ですから、旅の大部分は徒歩。それは大変なことだったでしょう。

 「東海道は十日路」。江戸〜京都間、約500キロは十日で歩ける距離とされていましたが、それはかなりの急ぎ旅で、一般的には15日前後を要していたといわれます。それでも1日の歩行距離は平均約33キロになります。ワラジを履きつぶしながらのその歩行力にはオドロクばかりです。
 点から点への効率的な移動ばかりを考えている現代人からすれば、「新幹線で3時間程度の距離を15日間もかけて……」ということになるのかも知れませんが。そのノンビリとした行程が旅の深い味わいであり、楽しみだったのでしょう。
すべてが歩く速さで移り変っていく時代でした。

 そんな歩く時代の道ですから、街道は今よりずっと歩く人にやさしく作られていたようです。それは並木、石畳、道標、傍示杭といった街道の付帯設備にもあらわれています。
 その代表格が「一里塚」でした。文字どおり、一里間隔にたてられたこの塚は、単に旅程の目安となっただけでなく、旅人の休憩や、馬やカゴの料金計算の目安としても利用されました。一里は約4キロ。歩く速さにもよりますが約1時間毎に見えてくる一里塚は、長い旅の心の支えとなり、旅のリズムを作り出していったに違いありません。

 東海道の一里塚は1604年に江戸幕府が一里を三十六町(約3.93キロ)と定め、江戸日本橋を基点に築かせたものです。江戸300年の間、行き交う旅人を見守った一里塚も、明治以降は、鉄道の敷設や新しい道路の造成等により次々に取り壊され、旅人と共に街道からその姿を消して行きました。
 したがって、当時の一里塚がそのままの形で残されている例は大変少なく、現存する塚は江戸時代の交通文化を知る上で貴重な存在になっています。

 静岡県内の東海道にはまだいくつかの塚が現存しています。また復元一里塚や塚の跡を示す碑も数多く残されています。
 それらを辿りながら、往時の旅人の心に思いを馳せてみるのもいいでしょう。

 自らの脚で街道を歩き、遠くに一里塚を見つけたときの安堵感と喜びは今も昔も変らないものでしょう。それは自動車文化の中では忘れてしまった感動です。今昔の旅人の心をつなぐ一里塚。汗を拭きながら腰をおろすと、塚の向こうからチョンマゲ姿の笑い声が聞こえてくるような気がします。


THE 一里塚
直径がおよそ五間(約9m)のまんじゅう型の土塁の上に、エノキなどの木が植えられた。写真は錦田一里塚(三島市)

東海道HOMETOP